2018年03月02日11:57
<歴史が動いてヒストリ庵~エンシューの衆ら~3> 第六章【エンシュー今川焼】vol.8≫
カテゴリー │歴史が動いてヒストリ庵
「はははははは、堀越が死んでくれたおかげで我のエンシュー侵攻の理由がなったわ。
これで心置きなく暴れる事ができるぞ、のぉ。」
「おっしゃる通りでございます。」
今川義忠(いまがわよしただ)が堀越貞延(ほりこし さだのぶ)を利用して自らの欲の為に動いている。
家臣達はそれを分かっていたが、誰一人咎める者はいなかった。いや、それを正せる気風が今の今川家にはない。
そしてその様子をふすまの脇から眼光鋭く見ていた4歳になる童氏がいた。
彼は義忠の嫡男、後の今川氏親(いまがわうじちか)である。
伊勢盛時(いせもりとき)、聞こえがよいのは北条早雲(ほうじょうそううん)は彼の伯父であり
今川家を飛躍的に全国へ知らしめる人物であるが、それはまだこの時ではない。
ただ、他の者を利用して自分の覇道を突き進む父のやり方に氏親は子供ながらに辟易していた。
さて、エンシューはと言うと。
堀越を討ち取った横地・勝間田両軍は戦勝祝い、と言う訳ではなく大本命が来ることをすでに察知し気を引き締めていた。
彼らは守護(今の県知事)の命令を忠実に執行したまでであり、都ないし守護の命をないがしろにしているのは
今川・堀越の方で、これに難癖をつける事は筋違いであると感じていた。されど来る火の子は払わねばならない。
彼らの居城は横地氏は現・菊川市の横地城、勝間田氏は現・牧之原市の勝間田城をそれぞれもっていたが
今川勢に見附を取られると居城から遠く、撃退することが困難と判断し、見附端城(みつけはじょう)接収し
そこで待ち構える事にした。
横地氏と旧友である二俣氏が加勢のため旧・豊岡村の社山城(もりやまじょう)まで出張ってきている。
他にも横地・勝間田両軍に賛同する者達が加勢に来たが多くはない。
しかし、加勢に来ぬ者も分かっていた。逆賊と言われるのは今川の方であると。
翌年、今川勢は弔い合戦意気揚々に予想通り東海道で見附に迫る。
今川義忠(いまがわよしただ)の本陣は、馬印など都を思わせるような雅な装飾に色採られている。
彼自身も輿(こし)に乗り、あたかも自分が都の代弁者だと言わんばかりの進軍である。
「ちっ、あの装い。都かぶれめ!」
横地・勝間田両名は幕府の近衛兵的な役職という事もあり、都かぶれとしか受け取らなかったが
こと兵士達に至っては、農民や雇った雑兵であったのでその効果は絶大だった。
「ありゃ将軍様じゃないだけ?」「将軍様がここにいるわけないわ。ただ、お偉いさんには違いねぇ。」
この頃は兵科の統率など皆無に近く、ただ目の前の敵に立ち向かう事が主であった。
故に今川の装いをみて、兵達のモチベーションは十分すぎるほど削がれた。
見附端城(みつけはじょう)は平地にあるので、兵士の戦意喪失も相まって容易に包囲させてしまう。
「ほほほほほ、薙ぎ払え!焼き尽くせ!」
義忠は容赦する事なく、全てを壊滅させる勢いで見附端城へ攻めかかる。
圧倒的な勢いに、戦いは数時間で決着した。
が、横地・勝間田のとっさの判断で両軍は多大な犠牲を払ったものの、それぞれの居城に戻ることが出来た。
二俣氏も加勢し奮戦を続けたが、小さき力では勝てずやむなく社山城(もりやまじょう)に退いた。
「許すまじ、許すまじぞ、横地・勝間田のすべてを根絶やしにするのじゃ。ほほほほほほ。」
今川義忠(いまがわよしただ)は狂気に満ちた面持ちで、横地・勝間田の全てを根絶やしにせんと
まずは勝間田に向かうのであった。
これで心置きなく暴れる事ができるぞ、のぉ。」
「おっしゃる通りでございます。」
今川義忠(いまがわよしただ)が堀越貞延(ほりこし さだのぶ)を利用して自らの欲の為に動いている。
家臣達はそれを分かっていたが、誰一人咎める者はいなかった。いや、それを正せる気風が今の今川家にはない。
そしてその様子をふすまの脇から眼光鋭く見ていた4歳になる童氏がいた。
彼は義忠の嫡男、後の今川氏親(いまがわうじちか)である。
伊勢盛時(いせもりとき)、聞こえがよいのは北条早雲(ほうじょうそううん)は彼の伯父であり
今川家を飛躍的に全国へ知らしめる人物であるが、それはまだこの時ではない。
ただ、他の者を利用して自分の覇道を突き進む父のやり方に氏親は子供ながらに辟易していた。
さて、エンシューはと言うと。
堀越を討ち取った横地・勝間田両軍は戦勝祝い、と言う訳ではなく大本命が来ることをすでに察知し気を引き締めていた。
彼らは守護(今の県知事)の命令を忠実に執行したまでであり、都ないし守護の命をないがしろにしているのは
今川・堀越の方で、これに難癖をつける事は筋違いであると感じていた。されど来る火の子は払わねばならない。
彼らの居城は横地氏は現・菊川市の横地城、勝間田氏は現・牧之原市の勝間田城をそれぞれもっていたが
今川勢に見附を取られると居城から遠く、撃退することが困難と判断し、見附端城(みつけはじょう)接収し
そこで待ち構える事にした。
横地氏と旧友である二俣氏が加勢のため旧・豊岡村の社山城(もりやまじょう)まで出張ってきている。
他にも横地・勝間田両軍に賛同する者達が加勢に来たが多くはない。
しかし、加勢に来ぬ者も分かっていた。逆賊と言われるのは今川の方であると。
翌年、今川勢は弔い合戦意気揚々に予想通り東海道で見附に迫る。
今川義忠(いまがわよしただ)の本陣は、馬印など都を思わせるような雅な装飾に色採られている。
彼自身も輿(こし)に乗り、あたかも自分が都の代弁者だと言わんばかりの進軍である。
「ちっ、あの装い。都かぶれめ!」
横地・勝間田両名は幕府の近衛兵的な役職という事もあり、都かぶれとしか受け取らなかったが
こと兵士達に至っては、農民や雇った雑兵であったのでその効果は絶大だった。
「ありゃ将軍様じゃないだけ?」「将軍様がここにいるわけないわ。ただ、お偉いさんには違いねぇ。」
この頃は兵科の統率など皆無に近く、ただ目の前の敵に立ち向かう事が主であった。
故に今川の装いをみて、兵達のモチベーションは十分すぎるほど削がれた。
見附端城(みつけはじょう)は平地にあるので、兵士の戦意喪失も相まって容易に包囲させてしまう。
「ほほほほほ、薙ぎ払え!焼き尽くせ!」
義忠は容赦する事なく、全てを壊滅させる勢いで見附端城へ攻めかかる。
圧倒的な勢いに、戦いは数時間で決着した。
が、横地・勝間田のとっさの判断で両軍は多大な犠牲を払ったものの、それぞれの居城に戻ることが出来た。
二俣氏も加勢し奮戦を続けたが、小さき力では勝てずやむなく社山城(もりやまじょう)に退いた。
「許すまじ、許すまじぞ、横地・勝間田のすべてを根絶やしにするのじゃ。ほほほほほほ。」
今川義忠(いまがわよしただ)は狂気に満ちた面持ちで、横地・勝間田の全てを根絶やしにせんと
まずは勝間田に向かうのであった。