<歴史が動いてヒストリ庵~エンシューの衆ら~3> 第七章【今からシバいたる】vol.2

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新生今川家の当主である今川氏親(いまがわうじちか)
その姿は16歳の若き獅子にして、どこかしらあの今川了俊を思わせる雰囲気がある。
それは、逃亡中の身であっても一時も肌身離さず持ち歩き、今では手元になくとも
心に刻んだ「今川状」の存在が大きいのかもしれない。
彼の父義忠(よしただ)の反面教師と、この「今川状」によって
氏親(うじちか)の人格は形作られていたといっても過言ではない。
そして幽閉中はこのスルガの為に何をすべきか、そればかりを考える日々であった。
しかし、これまで幾多の裏切りや謀略を目の当たりにしてきている氏親(うじちか)にとって
母以外の周りの者は誰一人信じる事が出来なくなっていたのも事実であり
それゆえ人には心閉ざすことが多く、物静で内面に棘を持っているように周りの者には見えていた事だろう。
今川の悲願は、エンシューとスルガの二国統治。これに尽きる。
当主の座に着いた氏親(うじちか)がまず目指したのは、スルガの安定である。
まずは基盤を固めて、抜かりない計画のもとエンシューを奪還しようというのである。
しっかりとした生活の基盤を作り住みよい土地にし民忠を高め
それを監督する自分達武家にはそれ相応の心構えを植え付けようと考えていた。
それにはまず武家人心の掌握が先決である。
ただ先にも記述したとおり氏親(うじちか)の社交性は極めて弱い。
そこを頼ることなく皆が自分のいう事を聞いてくれる策。
彼のとった策は所領安堵である。
所領をこの氏親が保証してやるから、今川の言う通り行動しろというものだ。
それは武家にとって食いぶちが担保される願ってもない事だが
先の三河の件ありき、京は周辺の反乱と一揆の対応で手いっぱいであり地方
の事などを見る余裕などなかったので、氏親(うじちか)は自分の差配でそれが出来た。
また彼が幸運だったのは、守護の代理として北条早雲(ほうじょうそううん)が
ついていた事が大きい。
後の織田家や、今三河を席捲している松平、どの家も守護職付きの武家である。
下の者が力を付けて上を突く、まさに下克上の世界の中で
早雲(そううん)はひたすら氏親(うじちか)の補佐に回り、自分は関東制圧を夢見た。
そうしていく内に二人の絆は確かなものとなり、十数年費やし地を固め
明応3年(1494年)、再びエンシューへの侵攻を始めた。


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