2018年01月26日15:21
各地の豪族においては守護武将の影響が大きく、一族内でどちらにつくか対立があるものの、
ほぼ守護職の意向が強く反映する。
したがって斯波の力が色濃いエンシューは西軍。スルガは東軍という図式になるのだが
斯波家に至っては、宗家が二分し西軍と東軍で戦いを強いられている。
斯波家を指示していたエンシューの豪族は大混乱に陥る。
それを念頭に置きまず話は隣の三河に焦点を当てる。
三河守護は足利一門の一色家が代々受け継いでいたのだが、応仁の乱発生時は
細川家が三河守護職を仰せつかっていた。
一色家は将軍の守護権力縮小政策の煽りを喰らい、謀略において守護職より陥落していたのだ。
その為、虎視眈々と三河守護職返り咲きを目論んでいた矢先、応仁の乱が発生した。
細川家は応仁の乱の中心的家で、細川勝元は首謀者であり東軍の総大将的立場でもある。
かの家は斯波家と同じく管領(政治を司る)家であるので、三河の守護ではあるが代理にてその地を統治していた。
一色家も代理家の1つに甘んじていたのだが、細川家が京で戦を始めるとそれに乗じて発起し
三河は大きく混乱をする。それに習うかのように有力な豪族もまた発起し始めた。
その有力な豪族の中に松平がいるのである。この時の当主は松平信光。
守護というリーダーのいなくなった三河は、個々レベルの統治となりそれが領土となっていった。
これはまさしく戦国時代と言われるあの頃の体系であり、三河がその基盤の最初ともいえる。
といったように隣は騒乱混乱である。
では、エンシューはいかがなものか。
エンシューにおいては、横地、勝間田、天野、井伊といった有力豪族は西軍か東軍なのか大いに混乱
していたが、根本的に斯波家を支持しておりその地を自らの手で支配しようと考えるものは現れなかった。
よく静岡人はおとなしいと言われるが、この頃からその気風はあったのだろうか。
話を戻して、されどそんなエンシューの統治奪還を目論む者は他の地にいた。
スルガの今川である。
この時の当主は今川義忠という者で、あの今川義元の祖父にあたる。
義忠は細川勝元の側近である伊勢氏と懇意となり、勝元の敵守護地域の戦力を削ぐ計画とも
相まってエンシュー遠征の公認を取り付ける事に成功した。
またこの上洛時に伊勢氏一門の伊勢新九郎という者とも懇意となった義忠は、その姉妹を
正室に迎え入れる事となった。
この事が後の今川家にとって重要かつ飛躍に繋がる出来事となる。
そして懇意となった伊勢新九郎という者。
この者は、かの有名な後北条氏の祖、北条早雲その人である。
こうして今川義忠によるエンシュー侵攻が幕を開けようとしていた。

<歴史が動いてヒストリ庵~エンシューの衆ら~3> 第六章【エンシュー今川焼】vol.3≫
カテゴリー │歴史が動いてヒストリ庵
各地の豪族においては守護武将の影響が大きく、一族内でどちらにつくか対立があるものの、
ほぼ守護職の意向が強く反映する。
したがって斯波の力が色濃いエンシューは西軍。スルガは東軍という図式になるのだが
斯波家に至っては、宗家が二分し西軍と東軍で戦いを強いられている。
斯波家を指示していたエンシューの豪族は大混乱に陥る。
それを念頭に置きまず話は隣の三河に焦点を当てる。
三河守護は足利一門の一色家が代々受け継いでいたのだが、応仁の乱発生時は
細川家が三河守護職を仰せつかっていた。
一色家は将軍の守護権力縮小政策の煽りを喰らい、謀略において守護職より陥落していたのだ。
その為、虎視眈々と三河守護職返り咲きを目論んでいた矢先、応仁の乱が発生した。
細川家は応仁の乱の中心的家で、細川勝元は首謀者であり東軍の総大将的立場でもある。
かの家は斯波家と同じく管領(政治を司る)家であるので、三河の守護ではあるが代理にてその地を統治していた。
一色家も代理家の1つに甘んじていたのだが、細川家が京で戦を始めるとそれに乗じて発起し
三河は大きく混乱をする。それに習うかのように有力な豪族もまた発起し始めた。
その有力な豪族の中に松平がいるのである。この時の当主は松平信光。
守護というリーダーのいなくなった三河は、個々レベルの統治となりそれが領土となっていった。
これはまさしく戦国時代と言われるあの頃の体系であり、三河がその基盤の最初ともいえる。
といったように隣は騒乱混乱である。
では、エンシューはいかがなものか。
エンシューにおいては、横地、勝間田、天野、井伊といった有力豪族は西軍か東軍なのか大いに混乱
していたが、根本的に斯波家を支持しておりその地を自らの手で支配しようと考えるものは現れなかった。
よく静岡人はおとなしいと言われるが、この頃からその気風はあったのだろうか。
話を戻して、されどそんなエンシューの統治奪還を目論む者は他の地にいた。
スルガの今川である。
この時の当主は今川義忠という者で、あの今川義元の祖父にあたる。
義忠は細川勝元の側近である伊勢氏と懇意となり、勝元の敵守護地域の戦力を削ぐ計画とも
相まってエンシュー遠征の公認を取り付ける事に成功した。
またこの上洛時に伊勢氏一門の伊勢新九郎という者とも懇意となった義忠は、その姉妹を
正室に迎え入れる事となった。
この事が後の今川家にとって重要かつ飛躍に繋がる出来事となる。
そして懇意となった伊勢新九郎という者。
この者は、かの有名な後北条氏の祖、北条早雲その人である。
こうして今川義忠によるエンシュー侵攻が幕を開けようとしていた。
