2018年01月12日16:27
<歴史が動いてヒストリ庵~エンシューの衆ら~3> 第六章【エンシュー今川焼】vol.1≫
カテゴリー │歴史が動いてヒストリ庵
さて、エンシューを追われた今川一門。
今川姓から名前を変えた由来でもある堀越の所領でさえも、斯波家お抱えの狩野氏に取られてしまった。
幕府から正式に守護として任命されているのは斯波家であるので、言わずもがなではあるが
エンシューの国人や武将たちは斯波氏を支持している。すでに今川の声は通らない。
かといって斯波家の圧力がダイレクトにエンシューへ伝わったかと言えばそうとも限らない。
エンシュー守護在任中、斯波家の当主は一度もエンシューに在宅はせず代理の家臣が監督をしていた。
故にある程度好きなように各地権力者は統治をしていた。
斯波家は中央政権に深くかかわっていたために京に住まわざるをえなかったわけで仕方のない事だが。
後々この状況が、斯波家だけでなく有力な中央権力者にとって大きな痛手となるがまだその片鱗はない。
農民の暮らしはと言うと、今まで上からの命令をそのままをこなしてきた状況であったが、
荘園という物が名ばかりなるにつれ自覚を持つようなった。
各地で農民たちが共同体をつくり、一種の自治体の様な物を形成し始めていた。
自分達がどうしたいかを協議し権力者と交渉するのだ。
交渉の手段として”一揆”それも含まれている。
先の今川範将が先導した中遠一揆がよい例である。
斯波家に反発する各自治の長(土豪)に甘い言葉をかけて先導した一揆なのであろう。
しかし一揆は諸刃の剣。
農作業を生業としている者が、主を戦に移行する所行は来季の農作物の取れ高に影響する。
自分達を内から壊しかねない苦肉の策でもあるのだ。
そうならない為にも、発言力を高め交渉しやすくするために支持母体が必要になる。
農民達が求めた先は、”宗教”。神社仏閣にその受け皿をもとめたのだ。
誰もが耳にしたことのある”一向一揆“あれは浄土真宗本願寺教団の門徒が決起したものである。
人は常に、その状況下、既得権益の為に戦う。
農民階級でその様な状況なのだから、既得権益の権化のような武家社会はそれ以上である。
家柄を重んじてきた武家。
基本的にはその家を嫡男(長男)が継ぐのだが、早死や病、当主に相応しくなければ次男、三男
に譲るといった感じだ。
本家(宗家)にあぶれた一門は庶家となり、本家の家臣に組み込まれる。
庶家は家臣なのだから本家との格差は果てしない。
今思えば、今川了俊のような人物は稀有な存在と言える。
では、その稀有な存在を指をくわえて待ちわびるのか?
家臣達は、仕えている殿が当主に相応しいとあれこれ思いを巡らすに違いない。
”家督争い”
取り巻きの者達は今ある現状を保持あるいは拡大を図るため、綺麗なおべべを記せるが如く教育する。
それでも覆せない場合は、暗殺、毒殺、流言などの謀略で他を蹴落としにかかる。
親兄弟別れて血で血を洗う戦いも常になっていく。これが後に”下向上”という争いにもなっていくのだが。
斯波家や今川家も他の武家も例外ではなく、大小なりともこの”家督争い”が常に起きていた。
血なまぐさい椅子取りゲームを見ているかの様である。
そして、今川がエンシューを離れて4年、南北朝分裂の再来の様な、いやそれよりも災悪な暗雲を連れてくる
既得権益争奪の争いが起きようとしていた。
人の世は虚し!後に”応仁の乱”と呼ばれるそれである。

今川姓から名前を変えた由来でもある堀越の所領でさえも、斯波家お抱えの狩野氏に取られてしまった。
幕府から正式に守護として任命されているのは斯波家であるので、言わずもがなではあるが
エンシューの国人や武将たちは斯波氏を支持している。すでに今川の声は通らない。
かといって斯波家の圧力がダイレクトにエンシューへ伝わったかと言えばそうとも限らない。
エンシュー守護在任中、斯波家の当主は一度もエンシューに在宅はせず代理の家臣が監督をしていた。
故にある程度好きなように各地権力者は統治をしていた。
斯波家は中央政権に深くかかわっていたために京に住まわざるをえなかったわけで仕方のない事だが。
後々この状況が、斯波家だけでなく有力な中央権力者にとって大きな痛手となるがまだその片鱗はない。
農民の暮らしはと言うと、今まで上からの命令をそのままをこなしてきた状況であったが、
荘園という物が名ばかりなるにつれ自覚を持つようなった。
各地で農民たちが共同体をつくり、一種の自治体の様な物を形成し始めていた。
自分達がどうしたいかを協議し権力者と交渉するのだ。
交渉の手段として”一揆”それも含まれている。
先の今川範将が先導した中遠一揆がよい例である。
斯波家に反発する各自治の長(土豪)に甘い言葉をかけて先導した一揆なのであろう。
しかし一揆は諸刃の剣。
農作業を生業としている者が、主を戦に移行する所行は来季の農作物の取れ高に影響する。
自分達を内から壊しかねない苦肉の策でもあるのだ。
そうならない為にも、発言力を高め交渉しやすくするために支持母体が必要になる。
農民達が求めた先は、”宗教”。神社仏閣にその受け皿をもとめたのだ。
誰もが耳にしたことのある”一向一揆“あれは浄土真宗本願寺教団の門徒が決起したものである。
人は常に、その状況下、既得権益の為に戦う。
農民階級でその様な状況なのだから、既得権益の権化のような武家社会はそれ以上である。
家柄を重んじてきた武家。
基本的にはその家を嫡男(長男)が継ぐのだが、早死や病、当主に相応しくなければ次男、三男
に譲るといった感じだ。
本家(宗家)にあぶれた一門は庶家となり、本家の家臣に組み込まれる。
庶家は家臣なのだから本家との格差は果てしない。
今思えば、今川了俊のような人物は稀有な存在と言える。
では、その稀有な存在を指をくわえて待ちわびるのか?
家臣達は、仕えている殿が当主に相応しいとあれこれ思いを巡らすに違いない。
”家督争い”
取り巻きの者達は今ある現状を保持あるいは拡大を図るため、綺麗なおべべを記せるが如く教育する。
それでも覆せない場合は、暗殺、毒殺、流言などの謀略で他を蹴落としにかかる。
親兄弟別れて血で血を洗う戦いも常になっていく。これが後に”下向上”という争いにもなっていくのだが。
斯波家や今川家も他の武家も例外ではなく、大小なりともこの”家督争い”が常に起きていた。
血なまぐさい椅子取りゲームを見ているかの様である。
そして、今川がエンシューを離れて4年、南北朝分裂の再来の様な、いやそれよりも災悪な暗雲を連れてくる
既得権益争奪の争いが起きようとしていた。
人の世は虚し!後に”応仁の乱”と呼ばれるそれである。
