<歴史が動いてヒストリ庵~エンシューの衆ら~3> 第五章vol.14【エンシュート!スルガ】

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南北朝合一を成し、島津家の反発はあるものの九州に穏やかな波が訪れつつあった。
了俊は当初の目的通り、反発のある勢力を抑え込み九州平定を急ぐとともに、
中国明使を抑留し足利義満に貿易の全権を委ねた。
大内義弘を仲介人として近隣の朝鮮ともよい関係を築こうと海賊たちの殲滅にも死力を尽くした。
それらは何よりも九州探題という役を全うせんが為の行いである。
事はすでに戦から政へ加速度的に移行していく。
了俊は川の流れと濁りを取り払うかのように、一つ一つ着実に任務をこなしていった。
そして今川了俊に歯向かう輩が島津家に集約され、そこを制圧すれば完全たる九州平定が成るという時である。
突如、京都から出向命令が下されたのだ。
「兄上のお働きに賛辞をお送り成られるのでしょう。」
弟の仲秋がそんな事を言っていたが、了俊はその様な気にはなれなかった。
了俊は京都の情勢を事細かく知ることが出来るように、随時使者を送り続けていたのだが
先日の戻り、雲行きの怪しい情報がもたらされた。
「肥大化した守護職の粛清が行われる模様。」
実は10年前にその予兆は起きていた。
了俊が九州を平定しようと躍起になっていた頃、京都では細川家と斯波家の間で派閥抗争が繰り広げられていた。
もちろん九州探題もその余波をくらい、了俊の九州平定も思うように先へは進まなかったのだが、
ついに斯波家、あの斯波義将の軍事介入によって細川頼之は罷免させられてしまう。
発端は細川家による南朝勢の討伐失敗によるものだが、斯波義将の思惑が絡んでいたともっぱらの噂である。
それが真実か否かはさておき、代わって管領の座に着いたのが言わずもがな斯波義将である。
政治の表舞台は瞬く間に斯波義将の派閥が席捲した。
細川派であった了俊もあおりを受け、兼任していた九州数多くの守護職を召し上げられてしまう。
この頃20歳の青年になっていた足利義満は
当初から懸念していた守護大名の権力集中を削ぐ意味も含めて「室町幕府」の由縁でもある
「花の御所」を建てそこで自ら執政を取り始めた。
その実が徐々に結ばれていくと、さすがの斯波家も口が出せなくなって静かになっていく。
その結果浮き彫りにされたのが、九州探題の今川了俊と多くの守護職を兼任している大内義弘であった。
「ついにきたか、、、」と了俊は心の中で思った。
しかし、その命に従わない訳にもいかず成す術もない。
九州平定に尽力した功労者とは程遠い都帰りである。
案の定、了俊は自立して貿易を行おうとしているという疑念につき九州探題を更迭された。
そればかりではなく、異例ともいえるエンシューとスルガの半国守護を命じられた。
エンシューは弟の仲秋とスルガは甥の今川泰範とで分割統治せよというのである。
簡単に言えば一人で何も決めるな、という事だ。
了俊は何も言わずそれに従った。
久しぶりに故郷エンシューに戻った了俊。今後は細々とこのエンシューとスルガの統治に専念しようと思った。
噂では九州探題の後任は渋川 満頼という者がなったとか。
・・・・渋川?あの斯波家縁の渋川が?
すでに九州探題を辞した了俊には関係ない事ではあったが、この人選が再び了俊の元へ波乱を
連れてくるのである。
了俊が70歳になろうという、そんな時の出来事。

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