2017年10月05日08:55
<歴史が動いてヒストリ庵~エンシューの衆ら~3> 第五章vol.10【エンシュート!スルガ】≫
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島津氏久が血相を変えて今川の宿舎に怒鳴り込んでいった。
ドタドタと床板を踏みしめ事変が起きたであろう客間になだれ込む。
ふすまを勢いよく開けるとそこには今川了俊・仲秋兄弟と、すでに命を絶たれた少弐冬資が横たわっていた。
氏久はすかさず二人を睨みつけ問いただす。
「今川殿これはどういうことだ!?ご説明いただこうか!?」
少弐冬資は心変わりここへ来た。それも了俊の命で氏久が説得を行いやっとの思いでここにたどり着いた。
島津氏久にとってみれば面目丸つぶれである。
故に最初から感情は沸騰している。
それをよそに了俊はぐっと言葉をかみ殺している。
「今川殿黙っていてはわからぬ。これはいったいどういう状況なのか!?」
氏久の苛立ちを消し去るようにふっと息を吐き了俊は淡々と言葉を発した。
「少弐殿、謀反の疑いあり、よって自分の判断にて成敗つかまつった。」
「何!?わしは夜通し少弐と話合いをした。恐れの感情有れど謀反の疑いなど有ろうはずがない!」
「すまぬが、自分の判断にて謀反の疑いありと確信した次第である。」
どう見ても少弐冬資には謀反の疑いがあるとは思えなかったが、了俊はそれを頑なに連呼するばかりであった。
「話にならぬ!」
そういって島津氏久はその場を後にし、そのまま大隅へ帰ってしまった。
後、了俊は所領安堵や役職・官位の就任等の書状を送るが 島津家は全てを断り敵対心剥き出しで
今川勢と対峙していく事となる。
この一連の動きは、夜明けと共に公の場へ広がりを見せた。
それを聞きつけた大友親世が了俊のもとへとやって来る。
「今川殿、九州統一を目前にして、これはいったい何の所行でございますかな?理路整然な貴公らしくもない。」
大友親世は、何か隠していないだの、島津との懸け橋になって今一度九州統一の夢をだの色々言葉は尽くしたが
了俊の口からでるのは、謀反の疑いと自分の判断で行動した。それのみであった。
落胆した大友親世は、この後今川と距離を置くようになり、いわば中立の様な立場になっていく。
目前に迫った九州統一、されど少弐冬資を殺害した事で状況が一変する。
南北朝合一がある種の終焉とするならば了俊の戦いはあと20年続く。
大友親世が帰った後、緊張の糸が切れたように了俊は倒れ込んだ。
「兄上!いかがなされましたか?」
「大事ない。ただの目眩じゃ。」
了俊の側に寄り添った弟の仲秋は突然涙を流し嗚咽した。
「・・・・・・兄上、私は悔しいです。」
「みなまで言うな、これが世の理ぞ。それよりもこれからを考えよ。」
そして二人は言葉を飲み込んだ。
二人は何かを隠しているようだ。
話は二日前に戻る。
今川仲秋は備前(長崎)の治安維持に努めていたが、大攻勢という事で兄から招集を受けていた。
彼は途中大宰府によりこの水島に来たわけだが、その折1つの書状を受け取った。
宛名は今川了俊。送り主は管領の細川頼之である。
『方針変更の言伝。敵方なれども恐れ多くも天子様の御親族を根絶やしにする事は後百年、曰くの類なり。
我天子が望むは懐良親王の日本国王明記たる冊封の排除のみ。故に明との交渉中、戦局を長引かせよ。
少弐冬資を排し南朝指示の輩を掃討せよ。』
と、記されていた。
もとより了俊は、懐良親王を殺害する事など到底考えてはいない。
その目的も重々招致の上で、今まで進んできた。
管領の細川頼之とは仲の良い間柄で、全ての全権をゆだねてくれたにも関わらずこの書状。
納得がいかない。そればかりかキナ臭さを感じる。
その時了俊の頭の中に1人の男の名が浮かぶ。
「・・・・・・斯波義将。」

ドタドタと床板を踏みしめ事変が起きたであろう客間になだれ込む。
ふすまを勢いよく開けるとそこには今川了俊・仲秋兄弟と、すでに命を絶たれた少弐冬資が横たわっていた。
氏久はすかさず二人を睨みつけ問いただす。
「今川殿これはどういうことだ!?ご説明いただこうか!?」
少弐冬資は心変わりここへ来た。それも了俊の命で氏久が説得を行いやっとの思いでここにたどり着いた。
島津氏久にとってみれば面目丸つぶれである。
故に最初から感情は沸騰している。
それをよそに了俊はぐっと言葉をかみ殺している。
「今川殿黙っていてはわからぬ。これはいったいどういう状況なのか!?」
氏久の苛立ちを消し去るようにふっと息を吐き了俊は淡々と言葉を発した。
「少弐殿、謀反の疑いあり、よって自分の判断にて成敗つかまつった。」
「何!?わしは夜通し少弐と話合いをした。恐れの感情有れど謀反の疑いなど有ろうはずがない!」
「すまぬが、自分の判断にて謀反の疑いありと確信した次第である。」
どう見ても少弐冬資には謀反の疑いがあるとは思えなかったが、了俊はそれを頑なに連呼するばかりであった。
「話にならぬ!」
そういって島津氏久はその場を後にし、そのまま大隅へ帰ってしまった。
後、了俊は所領安堵や役職・官位の就任等の書状を送るが 島津家は全てを断り敵対心剥き出しで
今川勢と対峙していく事となる。
この一連の動きは、夜明けと共に公の場へ広がりを見せた。
それを聞きつけた大友親世が了俊のもとへとやって来る。
「今川殿、九州統一を目前にして、これはいったい何の所行でございますかな?理路整然な貴公らしくもない。」
大友親世は、何か隠していないだの、島津との懸け橋になって今一度九州統一の夢をだの色々言葉は尽くしたが
了俊の口からでるのは、謀反の疑いと自分の判断で行動した。それのみであった。
落胆した大友親世は、この後今川と距離を置くようになり、いわば中立の様な立場になっていく。
目前に迫った九州統一、されど少弐冬資を殺害した事で状況が一変する。
南北朝合一がある種の終焉とするならば了俊の戦いはあと20年続く。
大友親世が帰った後、緊張の糸が切れたように了俊は倒れ込んだ。
「兄上!いかがなされましたか?」
「大事ない。ただの目眩じゃ。」
了俊の側に寄り添った弟の仲秋は突然涙を流し嗚咽した。
「・・・・・・兄上、私は悔しいです。」
「みなまで言うな、これが世の理ぞ。それよりもこれからを考えよ。」
そして二人は言葉を飲み込んだ。
二人は何かを隠しているようだ。
話は二日前に戻る。
今川仲秋は備前(長崎)の治安維持に努めていたが、大攻勢という事で兄から招集を受けていた。
彼は途中大宰府によりこの水島に来たわけだが、その折1つの書状を受け取った。
宛名は今川了俊。送り主は管領の細川頼之である。
『方針変更の言伝。敵方なれども恐れ多くも天子様の御親族を根絶やしにする事は後百年、曰くの類なり。
我天子が望むは懐良親王の日本国王明記たる冊封の排除のみ。故に明との交渉中、戦局を長引かせよ。
少弐冬資を排し南朝指示の輩を掃討せよ。』
と、記されていた。
もとより了俊は、懐良親王を殺害する事など到底考えてはいない。
その目的も重々招致の上で、今まで進んできた。
管領の細川頼之とは仲の良い間柄で、全ての全権をゆだねてくれたにも関わらずこの書状。
納得がいかない。そればかりかキナ臭さを感じる。
その時了俊の頭の中に1人の男の名が浮かぶ。
「・・・・・・斯波義将。」
