2017年09月08日08:54
<歴史が動いてヒストリ庵~エンシューの衆ら~3> 第五章vol.6【エンシュート!スルガ】≫
カテゴリー │歴史が動いてヒストリ庵
今川了俊 の九州入り後の行動はとても迅速であった。
彼の頭の中にもどれだけ早く各自陣を確立できるかが鍵だと考えていた。
菊池氏が主体となる南朝勢も馬鹿ではなく、北朝方を九州入りさせれば厄介な事になると
重々承知していたので、先に豊後入りした了俊 嫡男の義範を壊滅させようと躍起になっていた。
ただ菊池武光という男、野戦では百戦錬磨の猛者であったが城攻めに関してはほどほど経験がない。
一方嫡男の義範は、父に「菊池武光という男は躍起になってお主を討ち取りにこよう。お主1人に
なろうとも、武光をくぎ付けにし我ら本体の到着を待て。それが出来なければ我が一門にあらず。」
と、激をとばされ豊後(現・大分)の高崎山城に籠った。
その様な状況化の中で今川義範は菊池勢を半年間足止めする事に成功する。
その間に今川了俊 と弟の仲秋が豊前と肥前にそれぞれ進行し有力豪族の調略を終え地盤固めを早々に終えた。
九州探題に任ぜられてから安芸(広島)に留まり1年、その成果が実を結んだのだ。
まんまと策略にはまってしまった菊池武光は、義範討伐を諦め大宰府へともどるのだが、、、
大宰府は城ではない。あくまで行政機関である。
その為有事の防御と言う面においてとても脆弱で、今川勢を到底防ぎきれるものではなかった。
南朝勢は、今川が易々と九州入りをし陣立てを行ったその速さに度胆を抜かれた。
最悪のケースを考慮しての軍備配置もしていない為、3方から狙われた大宰府は絶好の鴨である。
慌てふためいた南朝勢は、あっさりと大宰府を捨てた。
そして、大宰府の南に位置する久留米の地を本拠とし連立する山岳地で迎え撃とうと考えた。
山上から下地への攻撃は優劣として常識であるし、久留米を含めた山岳地と大宰府の間には筑後川が流れている。
後ろには山岳地帯、背を気にせず川を渡る敵を襲撃できる。迎え撃つには絶好の場所である。
ただ、対応が後手後手に回り過ぎてしまった。
この30年南朝が優位を保っていた情勢は、今川了俊 という人物によりたった1年で対等に塗り替えられてしまったのだ。
この報はもちろん近隣の豪族の耳にも届いた。
情勢が動くときは期待と不安が入り乱れ、いつもセンセーショナルに形作られる。
南朝が思うよりも大きなうねりとなって、自分達の驕りが何倍にもなって帰ってくる。
後手の対応をとった南朝を見て、今まで耐え忍んでいた九州の北朝勢が息を吹き返し今川のもとへはせ参じたのだ。
そればかりか、弱気な態度の南朝勢を見て今川に寝返るものさえ現れる始末である。
そして今川了俊率いる北朝勢と菊池武光率いる南朝勢が筑後川を挟み、ついに対峙する。
了俊は、夕日に照らされた久留米の山々を思いに更ける様子で眺めていた。
そこに弟、仲秋が歩み寄る。
「兄者、ようやくここまでたどり着けましたな。」
「仲秋よ、始まりだよ。ここがやっと始まりなのだ。ここに至るために色々な手を講じた。ありとあらゆるだ。
だがそれでもこれから先、人が多く屍となろう。だがやらねばならぬ。この一戦に勝たねば全てが意味をなさぬ。」
そう言うと彼は、来る激戦を予期し夕日を眩しげに見つめた。

彼の頭の中にもどれだけ早く各自陣を確立できるかが鍵だと考えていた。
菊池氏が主体となる南朝勢も馬鹿ではなく、北朝方を九州入りさせれば厄介な事になると
重々承知していたので、先に豊後入りした了俊 嫡男の義範を壊滅させようと躍起になっていた。
ただ菊池武光という男、野戦では百戦錬磨の猛者であったが城攻めに関してはほどほど経験がない。
一方嫡男の義範は、父に「菊池武光という男は躍起になってお主を討ち取りにこよう。お主1人に
なろうとも、武光をくぎ付けにし我ら本体の到着を待て。それが出来なければ我が一門にあらず。」
と、激をとばされ豊後(現・大分)の高崎山城に籠った。
その様な状況化の中で今川義範は菊池勢を半年間足止めする事に成功する。
その間に今川了俊 と弟の仲秋が豊前と肥前にそれぞれ進行し有力豪族の調略を終え地盤固めを早々に終えた。
九州探題に任ぜられてから安芸(広島)に留まり1年、その成果が実を結んだのだ。
まんまと策略にはまってしまった菊池武光は、義範討伐を諦め大宰府へともどるのだが、、、
大宰府は城ではない。あくまで行政機関である。
その為有事の防御と言う面においてとても脆弱で、今川勢を到底防ぎきれるものではなかった。
南朝勢は、今川が易々と九州入りをし陣立てを行ったその速さに度胆を抜かれた。
最悪のケースを考慮しての軍備配置もしていない為、3方から狙われた大宰府は絶好の鴨である。
慌てふためいた南朝勢は、あっさりと大宰府を捨てた。
そして、大宰府の南に位置する久留米の地を本拠とし連立する山岳地で迎え撃とうと考えた。
山上から下地への攻撃は優劣として常識であるし、久留米を含めた山岳地と大宰府の間には筑後川が流れている。
後ろには山岳地帯、背を気にせず川を渡る敵を襲撃できる。迎え撃つには絶好の場所である。
ただ、対応が後手後手に回り過ぎてしまった。
この30年南朝が優位を保っていた情勢は、今川了俊 という人物によりたった1年で対等に塗り替えられてしまったのだ。
この報はもちろん近隣の豪族の耳にも届いた。
情勢が動くときは期待と不安が入り乱れ、いつもセンセーショナルに形作られる。
南朝が思うよりも大きなうねりとなって、自分達の驕りが何倍にもなって帰ってくる。
後手の対応をとった南朝を見て、今まで耐え忍んでいた九州の北朝勢が息を吹き返し今川のもとへはせ参じたのだ。
そればかりか、弱気な態度の南朝勢を見て今川に寝返るものさえ現れる始末である。
そして今川了俊率いる北朝勢と菊池武光率いる南朝勢が筑後川を挟み、ついに対峙する。
了俊は、夕日に照らされた久留米の山々を思いに更ける様子で眺めていた。
そこに弟、仲秋が歩み寄る。
「兄者、ようやくここまでたどり着けましたな。」
「仲秋よ、始まりだよ。ここがやっと始まりなのだ。ここに至るために色々な手を講じた。ありとあらゆるだ。
だがそれでもこれから先、人が多く屍となろう。だがやらねばならぬ。この一戦に勝たねば全てが意味をなさぬ。」
そう言うと彼は、来る激戦を予期し夕日を眩しげに見つめた。
