2017年04月07日13:59
<歴史が動いてヒストリ庵~エンシューの衆ら~3> 第四章vol.4【東西南ボクイイね!】≫
カテゴリー │歴史が動いてヒストリ庵
※これはあまりにもフィクションです
※歴史認証はされておらず、あくまで個人の見解です。
宗良親王と残された数十名のお付き達はただただこうべを垂れるしかなかった。
しかしながら止み処を知らない雨は、疲れきった体からさらに力を奪う。
どこか雨を凌げる場所がほしい。が、あたり一帯砂浜と打ち寄せる広大な海が広がっているだけだ。
ただじっと伺い目を凝らしてみると、高台に傘の様に茂った松の木が一本立っているのがわかる。
彼らはなんとか寒さを凌ぐことができた。
身体を木にもたれかけ宗良親王はいつしか眠りについたようだ。
目が覚めるころには、小鳥がさえずり夜の事が噓のように晴れわたる朝が待っていた。
(そなたのおかげで雨を凌げることが出来た。予の命助けてもらった。ありがたき事。)
と松の木に礼を言ってその場を去った。
余談ではあるがこの松の木、戦前まで存在していたが空襲で焼け落ちてしまったらしい。
とりあえず昨夜の危機を乗り越えた宗良親王一行であるが、乗り越えなければならない危機はまだまだ連なっている。
ここがエンシューの南であるならば、宗良親王に反する者達が多く存在しいつ捕らえられてもおかしくはない。
とはいえ伊勢に戻ることはかなわない。ならばと彼らは危険を承知で北上し井伊谷へ行くこを余儀なくされる。
しかしながら近々の危機は、腹が減っていることであるが、ここに留まっていても何も好転はしない。
仕方がなく彼らは重い腰を上げてとりあえず北へ向かう事とした。
宗良親王とは後醍醐天皇の息子であるが彼の人生はジェットコースターの様である。
役職のトップに上り詰めたと思えばそこからいきなりどん底へ突き落とされる。
そういう意味では不運のひとである。ただ一つ幸運なのはどん底に陥った時誰かが必ず手を差し伸べてくれるという事。
それが彼の唯一無二の特権ともいうべきものであった。
その能力が発揮される、そう、今その時である。
歩き始めた一行の目の前に1つの社殿が見える。
宗良親王はこれからの困難に打ち勝てるよう、そこで祝詞をあげるよう命じた。
この頃の神社仏閣というものは、人々に生きる術を教える所であり拠り所であった。
またいにしえより、守られ優遇され特別行政自治区の様な存在となり得ていた。
そのためか、辺りに武士らしき人影はない。
それに腐っても天皇家のご令息、その一行の風貌はボロボロであったとしても一目で高貴と分かるほどだ。
さらに拍車をかけて、祝詞はそこらの形式ばった物ではなく天皇家由来に基づいて厳かに行われた。
この状況で周りの住民達が騒がない訳はなく、驚き押っ取り刀の状況で宮司が社殿に訪れる始末である。
息を切らした宮司が一行に言葉をかける。
「高貴な方とお見受けするが、どなた様であられますか。」
その問いかけにお付きの者が「宗良親王」と言葉にした時、どっと驚きの声が上がった。
この時まだ文字の描き詠みも出来なかった住民ではあるが、天皇と親王の名は耳したことがある。
現皇太子が、ひょんと何もない村に訪れ参拝している様なものである。
そうは言うものの、宗良親王一行の疲弊は著しく住民達は良く良く介抱したのであった。
ただ、この村々には天皇や公家たちが食すような煌びやかなものは存在しない。
あるのは粟で作られた握り飯だけである。
それでも彼らはそれらをあたかも御馳走かの様にほおばった。
それを食した宗良親王は、「このような飯は今まで食べた事が無い。これもひとえにそなたたちの暖かみからの事。」
と涙を流しながら食した。
住民の暖かみと腹を満たしたおかげで一行は心身ともに生き返った。
最後に宮司からここからの道のりは危険であると山伏の衣が手渡された。
何から何までお世話になった一行は深々とお辞儀をし急ぎ井伊谷へ向かうのであった。
その頃井伊谷はというと。
※歴史認証はされておらず、あくまで個人の見解です。
宗良親王と残された数十名のお付き達はただただこうべを垂れるしかなかった。
しかしながら止み処を知らない雨は、疲れきった体からさらに力を奪う。
どこか雨を凌げる場所がほしい。が、あたり一帯砂浜と打ち寄せる広大な海が広がっているだけだ。
ただじっと伺い目を凝らしてみると、高台に傘の様に茂った松の木が一本立っているのがわかる。
彼らはなんとか寒さを凌ぐことができた。
身体を木にもたれかけ宗良親王はいつしか眠りについたようだ。
目が覚めるころには、小鳥がさえずり夜の事が噓のように晴れわたる朝が待っていた。
(そなたのおかげで雨を凌げることが出来た。予の命助けてもらった。ありがたき事。)
と松の木に礼を言ってその場を去った。
余談ではあるがこの松の木、戦前まで存在していたが空襲で焼け落ちてしまったらしい。
とりあえず昨夜の危機を乗り越えた宗良親王一行であるが、乗り越えなければならない危機はまだまだ連なっている。
ここがエンシューの南であるならば、宗良親王に反する者達が多く存在しいつ捕らえられてもおかしくはない。
とはいえ伊勢に戻ることはかなわない。ならばと彼らは危険を承知で北上し井伊谷へ行くこを余儀なくされる。
しかしながら近々の危機は、腹が減っていることであるが、ここに留まっていても何も好転はしない。
仕方がなく彼らは重い腰を上げてとりあえず北へ向かう事とした。
宗良親王とは後醍醐天皇の息子であるが彼の人生はジェットコースターの様である。
役職のトップに上り詰めたと思えばそこからいきなりどん底へ突き落とされる。
そういう意味では不運のひとである。ただ一つ幸運なのはどん底に陥った時誰かが必ず手を差し伸べてくれるという事。
それが彼の唯一無二の特権ともいうべきものであった。
その能力が発揮される、そう、今その時である。
歩き始めた一行の目の前に1つの社殿が見える。
宗良親王はこれからの困難に打ち勝てるよう、そこで祝詞をあげるよう命じた。
この頃の神社仏閣というものは、人々に生きる術を教える所であり拠り所であった。
またいにしえより、守られ優遇され特別行政自治区の様な存在となり得ていた。
そのためか、辺りに武士らしき人影はない。
それに腐っても天皇家のご令息、その一行の風貌はボロボロであったとしても一目で高貴と分かるほどだ。
さらに拍車をかけて、祝詞はそこらの形式ばった物ではなく天皇家由来に基づいて厳かに行われた。
この状況で周りの住民達が騒がない訳はなく、驚き押っ取り刀の状況で宮司が社殿に訪れる始末である。
息を切らした宮司が一行に言葉をかける。
「高貴な方とお見受けするが、どなた様であられますか。」
その問いかけにお付きの者が「宗良親王」と言葉にした時、どっと驚きの声が上がった。
この時まだ文字の描き詠みも出来なかった住民ではあるが、天皇と親王の名は耳したことがある。
現皇太子が、ひょんと何もない村に訪れ参拝している様なものである。
そうは言うものの、宗良親王一行の疲弊は著しく住民達は良く良く介抱したのであった。
ただ、この村々には天皇や公家たちが食すような煌びやかなものは存在しない。
あるのは粟で作られた握り飯だけである。
それでも彼らはそれらをあたかも御馳走かの様にほおばった。
それを食した宗良親王は、「このような飯は今まで食べた事が無い。これもひとえにそなたたちの暖かみからの事。」
と涙を流しながら食した。
住民の暖かみと腹を満たしたおかげで一行は心身ともに生き返った。
最後に宮司からここからの道のりは危険であると山伏の衣が手渡された。
何から何までお世話になった一行は深々とお辞儀をし急ぎ井伊谷へ向かうのであった。
その頃井伊谷はというと。