2017年03月03日09:02
<歴史が動いてヒストリ庵~エンシューの衆ら~3> 第三章vol.8【二俣二間譚】≫
カテゴリー │歴史が動いてヒストリ庵
※これはあまりにもフィクションです
※歴史認証はされておらず、あくまで個人の見解です。
「私は思っておりました。ここ二俣が要所であると、、、
北には天野殿の荘園が、西にはエンシュー有力武士の井伊介殿がおります。
この地が横地殿のお声が大きいとはいえ、ここをしめておかねば扇のタガが外れ
いずれバラバラになる事必須と考えています。
そして今この地に立ち、この思いが確信に変わりました。
実は、すでに鎌倉様、安田様、横地殿の了承はえております。
治水、砦、この地を強化して容易に踏み込めるものではないという事を示しましょう。」
小山七郎朝光は、皆にそう熱弁をした。
民達はしんと静まり返っていたが、一人の男がモジモジと話し出した。
「わし、、、あんたぁの言ってる事はよぉ分からんだけど、、、、
そうやれば、水増す次期も恐れんでいいだけぇ?米とってく奴、とんます事も出来るだけぇ?」
朝光はその言葉にこくりと頷いた。
すると民達は「それはええ、やりめぇ。」「やりまいか。」
「二俣様やりまい!やりまい!」と呼応した。
二俣氏もそれを見てお願いしますと朝光へ頭を下げた。
朝光は頼朝から数カ月の滞在許可も取り合わせており、烏帽子山の東側に居を据える事とした。
彼が帰った後は、彼の家臣が動向を指揮するという。
さて、この二俣が先進の土地に生まれ変わろうとしているのだが、この頃の砦(城)と呼ばれるものは
想像する石垣に張り巡らされた白い漆喰の天守閣、などではない。
土を盛り高台にし、その上に柵を施した物である。近代城から見れば簡易的なものだ。
土を盛った所を土塁と呼ぶのだが、これは今でいう土手と考えてもらえればイメージが付きやすい。
砦を作る技術を養えばおのずと二俣川の治水も出来ようというのである。
どちらかと言えば著者は、まず城や砦ありきではなく治水技術の応用が城や砦に生かされたと考える。
ただし、掘り、盛り、全てを人力でまかなうわけで、なかなか盤石とは言い難いが無いよりはましである。
そして砦(城)を造るに重要とされたのが、場所である。
守り難く攻めやすいでは意味をなさないので、初期の砦(城)は自然の高台を好んだ。山である。
また、見えぬ不安を魑魅魍魎の類とし、発展した陰陽道により方角も重要視された。
皆が知るところの、鬼門、裏鬼門である。ここを神仏の力で守ってもらわねばいけない。
砦(城)を築く場合、その場所には神社仏閣をおく事が一般的である。
これを思うとき朝光は、山にぽっかり穴の開いた場所に気づく。
あれは何やと二俣氏に尋ねると、
「昔どえらい神さんの船が突っ込んで開いた穴でさ。その下に八幡様を祀ってますだ。」
というのである。彼はポンと手を叩き。
「まさしくお導き。」と、砦の場所を笹岡の地に決めた。
鬼門にはその宇佐八幡を、そして裏鬼門には最初に登った烏帽子山に不動明王を置いた。
これが後の笹岡城となり、あの二俣城の前身となるのである。

※歴史認証はされておらず、あくまで個人の見解です。
「私は思っておりました。ここ二俣が要所であると、、、
北には天野殿の荘園が、西にはエンシュー有力武士の井伊介殿がおります。
この地が横地殿のお声が大きいとはいえ、ここをしめておかねば扇のタガが外れ
いずれバラバラになる事必須と考えています。
そして今この地に立ち、この思いが確信に変わりました。
実は、すでに鎌倉様、安田様、横地殿の了承はえております。
治水、砦、この地を強化して容易に踏み込めるものではないという事を示しましょう。」
小山七郎朝光は、皆にそう熱弁をした。
民達はしんと静まり返っていたが、一人の男がモジモジと話し出した。
「わし、、、あんたぁの言ってる事はよぉ分からんだけど、、、、
そうやれば、水増す次期も恐れんでいいだけぇ?米とってく奴、とんます事も出来るだけぇ?」
朝光はその言葉にこくりと頷いた。
すると民達は「それはええ、やりめぇ。」「やりまいか。」
「二俣様やりまい!やりまい!」と呼応した。
二俣氏もそれを見てお願いしますと朝光へ頭を下げた。
朝光は頼朝から数カ月の滞在許可も取り合わせており、烏帽子山の東側に居を据える事とした。
彼が帰った後は、彼の家臣が動向を指揮するという。
さて、この二俣が先進の土地に生まれ変わろうとしているのだが、この頃の砦(城)と呼ばれるものは
想像する石垣に張り巡らされた白い漆喰の天守閣、などではない。
土を盛り高台にし、その上に柵を施した物である。近代城から見れば簡易的なものだ。
土を盛った所を土塁と呼ぶのだが、これは今でいう土手と考えてもらえればイメージが付きやすい。
砦を作る技術を養えばおのずと二俣川の治水も出来ようというのである。
どちらかと言えば著者は、まず城や砦ありきではなく治水技術の応用が城や砦に生かされたと考える。
ただし、掘り、盛り、全てを人力でまかなうわけで、なかなか盤石とは言い難いが無いよりはましである。
そして砦(城)を造るに重要とされたのが、場所である。
守り難く攻めやすいでは意味をなさないので、初期の砦(城)は自然の高台を好んだ。山である。
また、見えぬ不安を魑魅魍魎の類とし、発展した陰陽道により方角も重要視された。
皆が知るところの、鬼門、裏鬼門である。ここを神仏の力で守ってもらわねばいけない。
砦(城)を築く場合、その場所には神社仏閣をおく事が一般的である。
これを思うとき朝光は、山にぽっかり穴の開いた場所に気づく。
あれは何やと二俣氏に尋ねると、
「昔どえらい神さんの船が突っ込んで開いた穴でさ。その下に八幡様を祀ってますだ。」
というのである。彼はポンと手を叩き。
「まさしくお導き。」と、砦の場所を笹岡の地に決めた。
鬼門にはその宇佐八幡を、そして裏鬼門には最初に登った烏帽子山に不動明王を置いた。
これが後の笹岡城となり、あの二俣城の前身となるのである。
