<歴史が動いてヒストリ庵~エンシューの衆ら~3> 第三章vol.7【二俣二間譚】

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※これはあまりにもフィクションです
※歴史認証はされておらず、あくまで個人の見解です。
小山七郎朝光が二俣に到着すると、民たちはあっけにとられた。
ここいらの山の中ではお目にかかれない、煌びやかな召物、白馬に豪勢な鞍、
一目でその人が高貴な方であると分かるぐらいだ。
やはり鎌倉に住むお方は違うと、ここあちこで声が上がる。
この領主である二俣氏が小道の脇へ迎えに来ていた。
「小山七郎様でございますな。この様な山の奥によう来られました。何もございませぬがゆるりとしてください。」
小山七郎朝光はこの時、血気盛んな18歳ぐらいの若者である。
彼はかねがね国を統べるためには見聞を広く持ち、民達の言葉に耳を傾けねばと考えていた。
故にこの地を訪れたという事もある。
彼は颯爽と馬を降り、行縢(足全体を覆う当て革)を手で広げてみせた。
その場に優美な方を一目見ようと民達が集まり始めた。
「これは鎌倉様に頂戴した鹿皮で作らせました。この様なよいものがある所は、どんな所かと思い参じました。」
民達は「おぉ」と歓喜をあげる。見知らぬ人でも地元の事をよく言われれば悪い気はしない。
「七郎様、長旅お疲れでございましょうに。まずはゆるりとお休みくだされ。」
二俣氏がそう促すが、彼はこの地を一望できる山に登りたいと言い出した。
「それでは川向うのあの山はいかがでしょうか。」と指さしたのは、今で言う烏帽子山であった。
朝光は「うむ」と頷き、お供を連れ山へ登った。
さて、少し二俣の地形を語らねばなるまい。
二俣の地には二俣川というものがある。現在ではスッと1本線に天竜川へと流れ出でるが始めからそうだったわけではない。
蛇行して増水時には多大な被害を及ぼしたその名の通り「暴れ天龍」。
それと同じく二俣川もその地を大きく蛇行し流れており、増水時には度々二俣の村々を飲み込んでいった。
天竜川が龍であれば、二俣川は大蛇といった所だろうか。
それでも、その川のおかげで作物は良く育ち山々に囲まれていることから事前の要害となっていたのだ。
天竜川はこれより下流、いくつもの歳月その様相を多々と変えていく。
今よりも東に位置した事もあれば、もっと西側に流れていたこともある。
さらに言えば、双竜の如く二又に分かれたこともあるぐらいだ。
それは二俣のちを起点とした扇のようであり、歴史を紡いで下流に広大な平地が生まれた。
文字通り扇の「要」、それが二俣なのである。
実は朝光、この地を訪れる前に下流の土地を見て回っていた。
そしてこの山の上に立ち、ある考えが確信に変わった。
「二俣殿、この地に砦を築くきはございませんか。」
「は?砦ですと?」
二俣氏にとってみれば青天の霹靂であった。
近隣荘園とのいざこざや川の被害があるものの、本道から外れたこの地に砦など必要とは思ってもいないのだ。
ただ朝光は違い、この地は今も、いや今後もっと重要になっていくであろう事を予見しており
その為に砦を築くことが最優先だと説いたのである。
もちろん、二俣氏は豆鉄砲を喰らったような顔をしている。
山を降りた朝光は、民を呼び集めその重要性を説いた。
その熱に皆納得し、二俣の地に砦が築かれる事になった。


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