<歴史が動いてヒストリ庵~エンシューの衆ら~2>

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第一章【井伊のイイお話】
さて、井伊と聞いて思い浮かべるは何?
「んーーと、アレ!東京の桜なんとかの門の前で殺された人。」
FM東京に心酔している人は半蔵門と答えるだろうが、井伊直弼と桜田門である。
それでも、何かいたね~そんな人!程度の事であまり有名ではないかもしれない。
だとしたら井伊家再興の始まりと言っていい、後に徳川四天王と言わしめる
井伊直政などは、一般人の知る所ではないのかもしれない。
さらに言うならば、起源の地が遠州引佐の井伊谷という事も知る人は少ない。
その井伊直政・井伊谷。
井伊の名と血を繋ぎ止め200有余年繁栄の礎となる一人の女性がいた。
それが井伊直虎
男同様育てられ一時は女性の夢を描くが、叶わず男として世を歩む事を決意した女性。
彼女がいなければ隣人天野君の様に、井伊家は滅亡の道を歩んでいたかもしれない。
井伊君のお家は言ってみればいいトコの坊ちゃんである。
井伊谷辺りを仕切ってたお偉いさんである。
曳馬城主もやっていた時があるから、浜松あたりも治めていた時がある。
天皇の末裔?なンて事も言われてる。
だから、京の政(まつりごと)にもそれなりに関与している。
鎌倉幕府が討幕されてからほどなくして
皇族が北と南で二分しちゃってどっち付くだ!こっち付くだ!で、
まぁ全国各地でわっちゃわちゃ。←実はこの南北朝問題、昭和まで後をひく。
そしたらある日ペジテみたいに皇族が井伊の谷に流れついちゃう。
ふんだらトルメキアみたいな人たちが襲ってきちゃう。
今川君も天野君も敵側なのでわーわー言ってくる。
結局井伊家は敗の将となり、今川君の管理下に置かれる。
その後も今川君とけんかになったり、謀略やらいじめやらで
井伊家の男衆が直政を除いて誰もいなくなってしまう。
実はこの直政、身勝手に破棄された直虎の元許嫁、直親の子供。
逃亡中に奥さん作って生まれた子供。
虚勢と覚悟を身にまとい、まだ井伊には男がいるんだぞと名を直虎に変え、
井伊の血を繋ぐため、忘れ形見の直政を立派な当主とするため、
激動の戦国の世に身を投じるのである。
その後どうなったのか。。。。。それは2017年を利家とまつのじゃ!

↓ク難続きの人生だったろうに
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この記事へのコメント
舵を切れ〜♬
ぶつかるぞ〜♬
舵を〜♬
Posted by もちづき at 2015年08月28日 11:59
もちづきさん>
後醍醐天皇ってのが鎌倉幕府討幕したのですが
その立役者、足利尊氏が謀反をおこし
朝廷が南(ペジテ)と北(トルメキア)に別れちゃったのです。
そして、醍醐天皇の息子が宗良親王(巨神兵)というのですが
伊勢から福島に行く途中、遠州に漂着して井伊の谷の道政(ジル)
のお預かりになった訳です。
その後、北朝(トルメキア)に責められて、
井伊の谷は今川氏親(クシャナ)の軍門に下るのです。
そして時代は過ぎ戦国時代に差し掛かる頃井伊の谷に直虎(ナウシカ)
が生まれるのです。
・・・・・え?この話長すぎました?_??
Posted by ケヴィンケヴィン at 2015年08月28日 13:26
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