2012年07月09日11:45
本当はここでこんな事書きたくないけど≫
カテゴリー │蛇足
こんな夢を見た
みんな笑って幸せそうだった。
ただ、その笑いは自分の幸せや快楽の為に
他人を貶める事でのものであった。
下劣である。しかしながら、そう思う事もまた下劣に値する。
綺麗事、絵空事では生きていけない事は重々承知である。
下劣は下劣なりに言葉の重みを責任もって歩まなくてはならない。
しかし、その言葉の重みと責任を背負う覚悟が
現代人には欠如している。何処かに置いてきている。いや、
心の重箱の奥にしまいこんでいる。
だから、後人にも荷を負わせたくないと偽善を装い
教えないで歩んできている。
事なかれ主義なのだ。はたまた労せずして貪り主義なのだ。
観る聞く触る、全ての感じる物が多すぎて脳と心が解離し始めている。
だから脳は考えるのを止め、自らを自動化し
見たい物、やりたい事、幸せや快楽の為だけに慢心する。
そういってデジタル化された脳は、嫌な物から免疫が無いため
冷徹に嫌な物を排除しようとするか、自らを停止させる。
強く生きる事は自分を持つことである。
自分がどれだけ小さいかを知ることであり、慎むことである。
それを知れば、他を故意に傷つけようなどと考えぬものである。
みんな笑って幸せそうだった。
ただ、その笑いは自分の幸せや快楽の為に
他人を貶める事でのものであった。
下劣である。しかしながら、そう思う事もまた下劣に値する。
綺麗事、絵空事では生きていけない事は重々承知である。
下劣は下劣なりに言葉の重みを責任もって歩まなくてはならない。
しかし、その言葉の重みと責任を背負う覚悟が
現代人には欠如している。何処かに置いてきている。いや、
心の重箱の奥にしまいこんでいる。
だから、後人にも荷を負わせたくないと偽善を装い
教えないで歩んできている。
事なかれ主義なのだ。はたまた労せずして貪り主義なのだ。
観る聞く触る、全ての感じる物が多すぎて脳と心が解離し始めている。
だから脳は考えるのを止め、自らを自動化し
見たい物、やりたい事、幸せや快楽の為だけに慢心する。
そういってデジタル化された脳は、嫌な物から免疫が無いため
冷徹に嫌な物を排除しようとするか、自らを停止させる。
強く生きる事は自分を持つことである。
自分がどれだけ小さいかを知ることであり、慎むことである。
それを知れば、他を故意に傷つけようなどと考えぬものである。