<歴史が動いてヒストリ庵~エンシューの衆ら~3> 第七章【今からシバいたる】vol.6

ケヴィン

2018年12月14日 11:39


とにもかくにも二俣近江守昌長(ふたまたおうみのかみまさなが)の想いは虚しく
こちらの主力はこの杜山(やしろやま)の城に集中してしまった。
こうなってはもう総力戦を仕掛ける他ない。
打って出るか、籠って守るかである。
しかしながら小山に起つこの社山城、立地的に有利ではあるが、備えを強固にしたとはいえ
まだまだ貧弱である。
昌長(まさなが)はこの城から出て迎え撃つ事を提言したが、斯波 義雄(しば よしかつ)は
この城に籠り迎え撃つ事を強く主張。
今までの戦の作法からすれば城に籠る事が上策ではあるが、相手は北条早雲(ほうじょうそううん)。
昨年の事であるが、
堀越公方(ほりこしくぼう)である足利 茶々丸(あしかが ちゃちゃまる)を自害に追い込み、
名だたる武家を輩出している伊豆の国を30日で平定したと、まことしやかに武家達の噂話でいつも上がる
その北条早雲(ほうじょうそううん)である。
昌長(まさなが)は眉唾物と思いながらも火のない所に煙は立たぬと、彼に対しては細心の注意を払っていた。
(何かキナ臭く、今までの者のやり様と何か違う。)
そう思うからこそ断固として城より出でて迎え撃つ事を進言しているのだが。
事は難航し、時間がただただ流れるばかりであった。
そんな軍議を右往左往するある日の朝。
目が覚めた二俣近江守昌長(ふたまたおうみのかみまさなが)は、城内が何か騒がしい事に気づく。
「なにごとぞ」
「はっ、城の四方八方に幟(のぼり)が多数見えます。」
「紋は。」
「足利二つ引両。」
まさしくそれは今川の家紋。
彼は苦虫を噛み潰した。
最大たる後手を踏んでしまった。
相手は悟られぬ良き距離に布陣をしていた。
おおよそ夜のうちに進軍し、朝のこれを期に攻勢に出るつもりなのであろう。
そして何よりも驚いたことが布陣の配置であった。
軍勢は一所に集まりこちらに攻めてくるのが常。
されど今見えている情景は、いくつかの部隊が等間隔に布陣され城の周りを取り囲んでいるのだ。
咄嗟に「これはマズイ。」と昌長(まさなが)は思った。
彼はすぐに裏道をよく知る者と人斬りの猛者を呼び。
斯波 義雄(しば よしかつ)のもとに参じた。
彼は「何事ぞ。何事ぞ。」と、ひどく狼狽していたが有無を言わせず裏道から笹岡城への退却を促した。
数日前に甲斐(かい:現山梨)から小笠原 貞朝(おがさわら さだとも)が笹岡城(ささおかじょう)に入った
と二俣より書状が来ていた。
まだ押し返すことが出来うるかもしれない。
その望みで斯波 義雄(しば よしかつ)を笹岡に退去させた。
後に憂いは無くなった。
彼は目をカッと見開いた。
武具に身をまとい激をとばす。
「いまが時ぞ!憎き今川に一矢報いる時。皆々方お気張りを!」
杜山(やしろやま)の城の者達は、粘った。
自分の出来うる力を最大限に発揮し、今川勢を抑えた。
だが長くは続く事はなかった。
個々の部隊が荒波の様に押しては返す。
その波状で薄くなった所を狙い、相手はそこを突いてくる。
波で砂の城が少しずつ崩されていくように、この杜山(やしろやま)の備えが1つ1つ剥がれていった。
この早雲(そううん)の戦いを目の当たりにした二俣近江守昌長(ふたまたおうみのかみまさなが)は
到底かなわぬ相手と悟り、遂に投降を申し出たのであった。

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