雄大な山々と田畑に囲まれた横地の地は
灰と泥と死体が広がる惨劇の地と化した。
死んでいったものは、崖から落ちる者、矢によって射抜かれた者、
日に焼かれた者、投石にやられた者。
武士だけでなく農民含め、敵味方関係なくそこらじょうに横たわっている有様であった。
横地勢はこの戦が死に際と考え最大源の抵抗を見せ、今川勢はこの戦を手中に収めなければ
終焉は無いと考え必死であった。
その思いが均衡した事もあり戦火が広がったと言えるのだが
とにもかくにも今川勢は7日経っても横地城を落とせずにいた。
今川 義忠(いまがわ よしただ)は苛立ちを見せるばかりで家臣達を叱咤するしか仕事が無いようである。
その姿に重臣たちの心は不満に変わっていたが、前線の者達はよく戦をしている。
以外にもこの戦いはどちらの士気も衰えず、両方が大損害をだして集結するかに見えたのだが、
天の味方は今川勢の方に軍配が上がる。
以前放った火矢の火が横地城全体を囲むように燃え広がっていったのである。
この戦の季節は2月。
雪も降らない地は乾燥し、海からそう遠くなく海風がそれを増長させた。
始めは燻りでしかなかった火は、7日間でとうとう横地の山頂まで到達したのである。
貯蓄していた井戸も干上がり。熱気と煙で横地勢はみるみる倒れていく。
瞬く間に、その道には屍と負傷者の山が積みあがっていく。
「ごほごほっ。」
横地城に匿っていた女、子供達がとても苦しそうに口を押えて抗おうとしている。
城代となっていた横地四郎兵衛秀長(よこちしろべえひでなが)はここが潮時と察した。
「横地の血を絶えさせることはならぬ。秀国(ひでくに)の忘れ形見、藤丸(ふじまる)と
女、子供は夜のうちに麓の二俣神社ヘ行きかくまってもらえ。すでに手筈は整えておるゆえ
準備を急ぐのだ。」
「殿は?殿はいかがなされますか?」
「儂の事は心配するでない。」
家臣にそう告げると燃え滾る前線へと秀長は消えていった。
横地城城主であった秀国(ひでくに)の子、藤丸(ふじまる)と数十人の女、子供は裏手を抜け
なんとか二俣神社にたどり着き、一命は取り止めた。
その後の彼らは、二俣氏を頼り甲斐の地へ落ち延びそこで暮らすようになった。
横地氏はそこで甲斐武田の家臣になり、後に徳川家臣として幕末までその血を紡いだようだ。
そして再び前線に赴いた横地四郎兵衛秀長(よこちしろべえひでなが)であるがその後の消息は分からない。
こうして横地城は落城した。400年にわたる歴史の幕は火によって7日間で塵と化した。