管領と将軍の跡目争いがもとで始まった応仁の乱。
西軍の総大将山名宗全(やまなそうぜん)が死去し、
同年後を追うように去っていった東軍総大将、細川勝元(ほそかわかつもと)。
両総大将が相次いでいなくる事態に戦いの熱は急速に冷え切っていった。
上の者達の意地の張合いによる不毛な戦いに従う者達が疲弊していたのかもしれない。
現にその後この戦いによって、多少の小競り合いや人事変革があるものの
罪に問われるものや報酬を受け取る者はいない。もとの鞘に戻ったような感じだ。
表から見ればただただ多くの血が流れたに過ぎない、字のごとく不毛な戦いである。
エンシューでは、未だ細川勝元の死を知らされていない堀越貞延(ほりこし さだのぶ)は
斯波家を追い出すことに躍起になっていた。
今川義忠(いまがわよしただ)にいたっては、エンシュー遠征を堀越貞延に任せ一足先に
スルガに戻っていたので細川勝元の死を知ることが出来た。
「殿、いかがいたしましょうか?細川殿がいない今、我が軍の大義名分は無いに等しいかと。。。
堀越殿を戻しますか?」
義忠はニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「是非(ぜひ)に及ばず 」
家臣は何を言っているのかわからなかったのでもう一度伺いを立てる。
すると今度は、哀しみを帯びたような表情をしながらこう答えた。
「我は堀越に、その報の使者を送ったのだが、、堀越にその使者がどこぞで悪党に襲われたか
報が届かず、今も大儀の為に忠義を尽くしておる。。。。是非(ぜひ)に及ばぬことじゃ。」
家臣はそれを聞き背筋が凍る思いをした。
義忠は、このまま貞延にはなにも言わず戦いを継続するつもりなのだ。
それによって斯波家の追い出しに成功すればよし、幕府からお咎めを受けても堀越の単独行動という呈で
貞延は詰め腹を切らされるのだと家臣は悟った。
何も知らない堀越貞延は、打倒斯波家それだけを求めて突き進んでいた。
この数年の守護職は斯波 義敏(しば よしとし)と斯波 義廉(しば よしかど)の間で
入れ替わり立ち代わって混乱を極めていた。これは東軍と西軍に2分した斯波家の
内紛から来るものだが、乱が収まり守護職は斯波 義廉(しば よしかど)に統一する。
斯波 義廉(しば よしかど)についてだが、渋川家からきた養子である。
渋川家と言えば、今川と因縁があるあの九州探題の渋川家である。
斯波 義廉(しば よしかど)に守護職が統一した事により、横地氏と勝間田氏が元の役職に復帰した。
その情勢を知らぬように、堀越貞延はエンシューで大いに暴れている。
そしてついに、守護職に戻った斯波 義廉の管轄地も襲ってしまう。
さすがに守護職の威厳を傷つけられたとあって、斯波 義廉が激怒した。
これにより堀越貞延(ほりこし さだのぶ)の討伐の命が横地氏と勝間田氏に下ったのであった。