南朝側は菊池武光がいればなんとかこの状況を打破してくれる。
そう信じ、戦いを進めてきた。が、その菊池武光はもういない。
今はただ、懐良親王と菊池武光の遺志を継ぐ嫡男武政とを盛り上げ、南朝の火を途絶えさえてはならぬ。
それのみで動いているのだ。
しかしながら、今川勢の勢いはとどまることを知らずそれを凌ぐばかりで攻勢に出る事ができない。
菊池武光時代に築き上げた強固な城らは徐々に陥落し、南朝の前線は肥後の海岸線まで退かざるをえなくなっていた。
その間にも九州きっての豪族、大隅の島津氏久も北朝方につくなど四面楚歌の様相を呈してきた。
その南朝勢が肥後の水島という所まで退いた時、今川了俊は大攻勢に出ようと三人の豪族を招集した。
まず前述の大隅守護島津氏久、九州上陸の折り一役を担った豊後守護大友親世、そして筑前守護少弐冬資である。
この大攻勢の裏には南朝は直系ではなく北朝が主線であり、それを乱す懐良親王や菊池氏は朝敵であり逆賊であると
国内外に示すという理由があった。
さかのぼる事5年前、了俊が九州入りする以前の話。
明の国から懐良親王に書簡が届く。
内容はともかくその記述に日本国王と言う文字が刻まれていた。
その日本国王は誰を指すかと言えば北朝の天皇でも足利義満でもない。受け取った懐良親王の事を指しているのだ。
日の本は前々から明の国と貿易や外交を行ってきた。
明が懐良親王を日本国王と認めているという事は、全ての交渉は懐良親王の了承なしでは行えないという事である。
日本国中ほとんどが北朝方足利幕府主体で動いている中、明との交渉は南朝主体で動かなければならない。
実質日の本を動かしてる足利幕府にとってみれば、断固として容認できるものではなかった。
故に、懐良親王勢力を壊滅し九州全土を北朝方に塗り替えたと高らかに宣伝しなければならないのだ。
その為の大攻勢である。
これが最後の締めである。
了俊は目を閉じ3人をぐっと待っている。
「兄上、客人が来られました。」
最初に参じたのは、豊後守護大友親世だ。
「今川殿、これまでのご攻勢九州各地に知れわたってございます。やはり私の見立ては間違っておらなんだ。」
「いやいや、大友殿のご尽力あればこその今でございます。」
九州入り前からの絆がある今川と大友の間にはわだかまりも壁もない。
次に参じたのは大隅守護島津氏久。
「お初にお目にかかります。大隅の守護、島津三郎左衛門尉氏久と申す。以後お見知りおきを。」
「よう来られましたな。島津殿のご活躍の噂はかねがね耳にしておりますよ。」
今川と島津の間にはまだ壁があるが、両人とも相手を認めているようである。
そしてあと一人、筑前守護少弐冬資を残すのみとなった。
されど、待てども少弐冬資は現れない。
書状が届いていないという事も考えられるので、再度送り届けたがやはり返事がない。
暫くして今川仲秋のもとに噂がもたらされる。
少弐は今川が大宰府に陣取り筑前を掌握したいのではないかと疑念を抱いているというのである。
それを聞いた了俊は、二人の客人に説得のお願いをした。
「この今川、少弐殿の土地を脅かす気持ちは毛頭ござらぬ、その旨説得してくださらぬか。」
こうして大友親世と島津氏久は少弐冬資の説得へと向かった。