<歴史が動いてヒストリ庵~エンシューの衆ら~3> 第五章vol.3【エンシュート!スルガ】

ケヴィン

2017年07月21日 16:33

今川がスルガに移り住んでどのくらいの時間が過ぎただろうか。
この時に及びスルガの国で今川の発言力というものは動かざる岩の如く強固であった。
しかし、今川範国が守護に返り咲いたエンシューに関してはその支配力は盤石とは言い難い。
あの南北朝分裂下でのエンシュー動乱によって、今川単独でないにしろ敵対した者達は力によって想いを削がれた。
力によって削がれた者達は、反する力が残っていないものの憎しみを添えて想いは増大していく。
もしくは力に寄り添い属人としてその傘下に守ってもらう。
とにかく、何かしらの火種は残したままこのエンシューは流れている。
今川範国は愚者ではない。その様な状況も想いも分かっていた。
火種がこれ以上広がらない様に、抑制と緩和を使い分け今川家に忠義を尽くすよう促してきた。
ただ、その溝がなかなか埋まることがない事は誰の目にも明らかである。
そのアンバランスなバランスを保ち続けながら時代は進んで行った。
そして時は範国の息子達の代に移行する。今川範国の息子は、4人いたとされる。
範氏、貞世、氏兼、仲秋である。
宗家スルガ今川家は、もちろん嫡男の範氏が継いだ。
そして他弟達は兄の補佐的役割を担っていただろうが、エンシューは実質次男の貞世が実権を握っていた。
この今川貞世という男。
今川の歴史の中で随一無二と称される人物である。
範国と共に各地を転戦し、父の肝いりで2代目将軍足利義詮の側近をしていた。
足利義詮が死去した時、今までの名を捨て”今川 了俊”(りょうしゅん)と改め出家。
戦での戦術戦略に長けるだけではなく、歌人としても有名でそれにとどまらずあらゆる文学に精通していた。
彼の功績で、足利一門の末席であった今川家が一躍スターダムにのし上がった事は言うまでもない。
その噂は京中や幕府中枢部まで名が知れ渡っていた。
ただ彼にも難がある。
父範国の提唱する、「エンシュートスルガを足掛かりに中央への進出を目論む。」これを信実をもって体現した人物でもある。
その為には手段を選ばず、裏での暗躍もいとわない。その冷酷無比たるや酒天童子のような振る舞いであった。
彼は全てにおいてキレていた。いやキレ過ぎていたのだった。
足利義詮が死去してからエンシューの片田舎で世捨て人になっていた彼のもとに1人の身なりの良い武士が尋ねてきた。
3代目足利義満の懐刀、細川 頼之の使いだという。
細川 頼之も足利一門であり、幼少の頃から義満を良く補佐し重宝された管領の1人である。
「細川様の使いとな?はて、世捨てた我が身になにをありや?」
「最近西国が騒がしくなっております。中央では南朝勢力は皆無になりましたが、あちらでは息を吹き返しているとか。」
「そのための九州探題ではないのかな?」
「確かに前探題、鎮西探題の抑えとして作られたのが九州探題ではございます。
その役目を渋川 義行殿が受け持つ事と相成りましたが抵抗激しく、九州の地すら踏めぬ有様だとか。」
「で、我に何を?」
「御屋形様は、新進気鋭の左京亮(さきょうのすけ)様にこの状況の打開をお望みでございます。」
「その役職はもう降りているよ。。。」
今川 了俊は少し考え、口元をニヤリとさせた。
「全権は我に任せていただけるのですかな?」
「はい、ただし中央はお力添えが出来ませぬ。」
今川 了俊はまたフッとニヤリと笑う。
「よろしかろう。細川様にこの一件承ったとお伝えを。」
こうして彼の思惑をのせ九州討伐が決まったのであった。

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