【生と死】
死が軽んじられている。
生があんなに盛大な歓喜に包まれたというのに
死についてはこんなにもあっけないものだろうか。
他殺も自殺も関係ない。死が軽い。
私たちは多くの事を見過ぎてしまった。
だから神様も仏様も信じなくなった。
悪徳宗教を目の当たりにし宗教という言葉すら辟易している。
(他人を傷つける他人の利益を貪る。他人に迷惑をかける。
利益を追求する宗教は宗教とは認めたくない。)
昔僕らが生まれるずっと昔、
神様や仏様が悪いことしたら助けてくれた。
悪い事をしない為に神様や仏様が教えてくれた。
教えを乞うのは、学校でもなく塾でもない。
神社やお寺だった。
宗教と言うのは、教えであり拠り所であったのだ。
人は弱い。そして浅はかで醜い。
それを制御ないし救いの為に宗教があった。
今はただ形式だけが残り、皆宗教を捨ててしまった。
それが良い事か悪い事かはわからないし
宗教を捨てる事も悪いとは思わない。
だが捨ててしまった以上、自分自身で自分の制御と救いを
模索しなければならくなり、それはとても困難な道ではある。
そしてもう一つ
私たちは便利になり過ぎた。
だからボタン一つで何でも出来るものと錯覚を覚えてしまう。
そうなると人は動きたくなくなり、思考も鈍り、やがて
考える事をやめてしまう。
考える事をやめるという事は、制御と救いを
模索する事をやめると同義であり、その行く先は
自分を止めるか、対自の排除かの選択になる。
そうなると死は軽くなる。
自分を止めたいから死ぬのであり。
自分に従わないから殺すのであり。
そこに後悔と慈愛は感じられない。
生と死は同価値であらねばならない。
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