【プロメテウスの火から始まる連鎖】
思う、なぜ消火ではなく鎮火なのだろうか?と。
現在我々が何気なく接している火はどこから来たのだろうか?
ボタンを押せば火が現れるソレは、進展の結果にすぎず起源ではない。
そう考えると、とても不可思議に思えてくる。
とにかくいつからか我々は火を使い始め
月火水木金土日と我々になくてはならない1つとなった。
それを使い方によって天狗火にもしてきたし、セントエルモの火にもしてきた。
それ故に人知を超える猛威は「火が怒った」と思わざるをえず、そう表現してきた。
そこで鎮火の文字を見てみる。
鎮とは「しずめる」と読む。(漢字の由来としては、屍を埋めるから来ている様)
まさしく「お怒りになった火様をしずめる。」だから鎮火なのである。
普段何気に使用している言葉にも信仰はあるのである。
ちなみに、消火は「火を消す」という意味であるが
消は「水(辺)が小さくなる。」からきている。
だから消火は行為やそれに付随する物を表すのではないかと考える。
(消火行為・消火栓・消火器、また水が無くなって火を消すという意味が
しっくりこないと思うのは私だけだろうか。)
これからも我々は火を使い続けるし、
その旅に火がお怒りになるので鎮火しないといけない訳だが
大事なのはプロメテウスの火以来我々に科せられた性を
忘れてはいけないという事である。
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